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611アニバーサリー企画SS。 (全てのお題は「確かに恋だった」様より)
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おもえば最初から彼は異質な存在だった。
父の書斎に踏み込むことを許された青年。閉ざされたこの狭い世界にある日突然入り込んできた彼は、この誰も寄せつけないかのような排他的な屋敷にあまりに自然に溶け込んできた。
正直に言うと、最初の頃、私はどこか彼が苦手だった。嫌いなわけではなく苦手。まっすぐないい人だというのは分かっていたから。けれど、娘である自分が上手くコミュニケーションを取れない父の領域に、やすやすと入り込める彼には、どこか複雑な想いがあったし、未発達な心には、あまりに大きな持て余す存在に、それでも気になる不思議な感情に、ただ、どう接していいのか分からなかった。

顔が合えばニコリと笑顔で声をかけられ、自分の役目なのだから当然のように家事をすれば「ありがとう」と礼を言われる。同じ家にいても研究ばかりで会話のあまりない父との生活が普通だった私は戸惑うばかりで。我ながら愛想のない返事をして、後で自分の部屋に戻ると落ち込むことも少なくなかった。
それでも彼は気にした素振りを見せるでもなく次もまた同じように接してくれるのだ。

気難しく人とあまり接するタイプではない父の弟子になって長続きしてるだなんて、こんな私に優しくしてくれるなんて、変わった人だなと思いながら、流れる月日の中で少しずつ少しずつ何かが変化していった。
最初は戸惑うばかりだった彼との他愛無い会話をいつの間にか楽しみにしている私がいた。
「いいです、勉強をして下さい」と断るのに「息抜きも必要なんだ」と言って食事の後片付けを手伝ってくれるのは困るのにどこか胸の中がほんわりとなった。
「おいしいよ」の一言に食事を作るのが楽しくなったし、しっかりしているのかと思えば意外なところでだらしない彼に錬金術師って難しい問題が解けるのに日常生活が下手なのかしらと手をやくことすら充実感を与えてくれた。

そうやって彼に対する苦手意識が薄まったかと思えば、ふとした時に自分でも分からない不可解なもやもやが込み上げてくるから、やっぱり私は気持ちを持て余していたけれど。
「リザ、よかったらこれ、もらってくれないかな?」
そう言って、用事で行っていたセントラル帰りなんだと数日ぶりに家を訪れた彼から手渡されたのは、可愛いピンクのラッピングペーパーに包まれた大人っぽい髪飾りだった。
「これ…」
「土産というか、日頃、いろいろ世話になっているからね。お礼には足りないんだが、もらってくれると嬉しい」
どうしよう…お礼なんて必要ないけど胸がドキドキするくらい嬉しいかもしれない。
「マスタングさんが選んで下さったんですか?」
「いや、私はこういうのよく分からなくてね。知り合いが流行りだと選んでくれたんだ」
そう言ってどこか照れた顔をして笑みを浮かべる彼からは、甘い女物の香水の香りがほんの微かに漂ってる気がした。
なんだか舞い上がっている自分が恥ずかしくなって急に気持ちが沈んでいくのを感じた。
「そう…ですか。せっかくですけど…」
「気に入らなかったか?」
「いえ、そういうわけでは」
「なら遠慮せずにもらってくれないか」
そう言う顔が困ったようなどこか途方にくれたような顔をしていたから。
選んでくれた人に悪いものね…。
「ありがとうございます」
「きっと似合うよ」
彼から初めてもらったプレゼントは、嬉しいはずなのにどこか胸が苦しくて。
自分の部屋でこっそりとつけてみたけど鏡の中には、大人びた綺麗な髪飾りと不釣り合いな自分の顔が映っていた。似合うなんて嘘つき…。
「マスタングさんのバカ…」
髪飾りを外してそれでも宝箱に仕舞うと膝を抱えて蹲る。なにか悪口を言いたい気持ちにかられて、ぽつりと呟いた声は小さくて狭い部屋の暗闇に溶けていった。
そして彼には別の世界があるのだと、そう思った。その時に胸が痛むこの気持ちがなんなのかは分からないまま…。


私はこの古びた家の世界が全てで閉じた世界に生きていた。
彼は私の知らない大きな世界を見ていてそこで生きる人だった。
それがこんなにも苦しいのは何故だろう?

ずっと私の胸の中にあった苦しい気持ちと不安の正体が分かる時、それは彼がこの家を出ていく時だった。
もともと彼は軍人になるために士官学校に在籍していて、長い休みの間にうちにきていたのだ。学校に戻らなければならなくなった頃に軍人嫌いの父とは、このまま軍人になることで揉めているようだった。進む道を変える気などない彼は必死で父を説得しているようだったが、どちらも頑固で話は平行線を辿る一方だった。
私が口出しできるはずなどなく、ただ、日に日に近付いてくる別れの予感に痛む胸を隠していつもどおり振舞うだけだった。
そして彼が学校に戻らなければならない日が容赦なく訪れた。

「君にも世話になったな。本当に感謝してるんだ。ありがとう」
「いえ…」
彼がまっすぐに私を見つめて告げてくれる言葉に私も何か言わなくてはと思うのに不思議と何も言葉が出てきてくれなかった。
「師匠には反対されたが、ちゃんと軍人になれたらまた話に来ようと思っているんだ。だからそれまで元気で」
彼はそれを察してくれたのか相変わらず嫌な顔もせず優しい顔をして、そう言葉を紡いで背を向ける。もう汽車の時間が迫っているのだ。
別れの言葉と向けられた背に心音だけが煩くて目の前が熱くなる。
私だってたくさん伝えたいことはある筈なのに、どうして、どうしてちゃんと言えないんだろう…待って、お願い、行かないで。
一歩進み出した彼の歩みがふと止まる。
「リザ?」
彼を止めているのは私の手だった。無意識のうちに咄嗟に伸ばした手は、口よりずっと正直で彼の背中のシャツをそっと握り締めていたのだ。それを認識した途端、何をやっているのと急にどうしようもなく恥ずかしくなり慌てて手を離した。
「す、すみません…」
何をやっているの…こんな子供みたいな真似…彼の顔がまともに見れない。
「いや…リザ、」
何かを言おうとした彼の言葉を遮って顔をあげて言葉を紡ぐ。困らせたりなんてしたくない。慌てて離した手、それが全てを物語っている気がして、そっと自分で握りしめる。
「その、体には気をつけて下さいね。マスタングさん。士官学校が忙しいからって食事を忘れたり机でうたた寝なんてしたらダメですよ?」
彼はまだ何かを言いたそうだったけどどこか少しだけ切なげな笑みを浮かべたのは一瞬、次にはいつも通りの顔だった。
「ああ、そうだな。わざわざ夜食を用意してくれたり毛布をかけてくれる優しい誰かさんはいないから気をつけるよ」
そう言って頭をポンポンと優しく撫でられる。
「もう!子供扱いしないで下さい」
「そんなつもりはないんだがな」
「お元気で」
「ああ、リザも」
そう言って今度こそ本当に彼は歩み出した。彼の大きな世界に。
私の小さな世界に新たな彩りを残して。


慌てて離した手ーそれが私が自分の気持ちに気付いた瞬間でした。

Fin.

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